ドリブル論争と戦術的ピリオダイゼーションのお話
最近TwitterのTLをにぎわせたドリブル議論。
ちょっと旬を過ぎてしまったので今更感はありますが気になったことがあったので一応書いておこうと思います。
議論の的になったのはドリブルデザイナーとして有名な岡部将和さんが提唱している99%抜けるドリブル理論です。
相手を抜くという局面に特化したこの練習について議論が始まったのはスケゴーさんのツイートからでした。
ボールを受ける動きができず、ドリブルできないドリブラーだらけになっている。もうドリブルはボールを受けるところからトレーニングをスタートしないと意味がない。
— スケゴー (@sukego_fut) August 10, 2018
(実際の議論はこのツイートよりも早くに始まっていましたが最もわかりやすく議論の核心をついているこちらのツイートを引用させていただきました)
ここからTwitter上では様々な意見が飛び交いました。
抜くという局面のみを切り取って練習することに意味があるのか?
ドリブルの前後のプロセスも重要であってそこの練習をする必要があるのではないか?
相手を抜くという局面が存在するならば練習する必要があるのではないか?
ドリル形式のトレーニングも重要なのではないか?
著名な方々もこの議論に参加されたためより一層ヒートアップしていきました。
スケゴーの叔父貴は、毒のなかにえぐい核心がまじっているから気をつけるべし。突破のドリブルだーをトレーニングするときに、前(ボールを受ける前)→中(突破のドリブルだー)→後(突破のドリブルのあと)を入れなければいけないというのは至極正論なのだ(・∀・)
— らいかーると (@qwertyuiiopasd) August 9, 2018
ドリブル論争起きてるけど、ドリブルだけ練習してても別に良くない?と普通に思う。パス練するでしょ?シュート練するでしょ?ドリブル練して何が悪いの?
— はやし まいき (@Hayashi_BFC) August 10, 2018
様々な意見が飛び交う中、局面のみを切り取っての練習と対極の位置に置いて多くの方が語っていらっしゃったのが「戦術的ピリオダイゼーション」の考え方です。現在最先端のトレーニング理論である戦術的ピリオダイゼーションの考え方に反しているという意見が多く見受けられました。
ちなみに後で書きますが日本における戦術的ピリオダイゼーションの第一人者である林さんが異なる意見だったのは面白かったです。
フットボールを局面に切り取って、そこのトレーニングをする!!ということが、ドリブルに限らず兎に角難しい。実際の試合では繋がっているので、その繋ぎ目を出来るだけトレーニングに取り入れよう!というのが欧州のトレンドであり、戦術的ピリオダイゼーションなんかはそれとも密接に絡む。
— 結城 康平 (@yuukikouhei) August 10, 2018
この一連の議論で気になったのがこの議論に参加していた識者の方々を除く多くの方が戦術的ピリオダイゼーション=「サッカーはサッカーでしか上手くならない」 という意味合いのみで議論を進めていた点です。
ですがそもそも戦術的ピリオダイゼーションの考え方はその理解で正しいのでしょうか?戦術的ピリオダイゼーションについて正しく理解できていない状態で言葉ばかりを安易に使っていくと本来とは異なる意味合いになっていき議論も深まっていかないのではないかと感じました。
なので今回は戦術的ピリオダイゼーションについての自分なりの解釈について書いてそのうえで今回の議論に対する自分なりの解釈を書いていきたいと思います。
あくまで自分の解釈であって正しい解釈ではありません。戦術的ピリオダイゼーションについてポルト大学で専門的に勉強したわけでもなく講習会や書籍でちょっとかじっただけなので間違っている箇所や異なる解釈を持っていられる方もいらっしゃると思います。
その時は皆さんのご意見をお聞かせ願えればと思います。
戦術的ピリオダイゼーションはポルト大学のビトール・フラデによって提唱されたトレーニングのアプローチ法でヨーロッパではモウリーニョがいち早く取り入れたと言われています。
日本ではポルト大学大学院で学んでいらっしゃる林舞輝さんの影響もあって近年脚光を浴び始めています。何を隠そう自分も林さんの講習会に参加させていただき戦術的ピリオダイゼーションについての理解を深めた身です。
それまでは?マークでしたが講習会のおかげで多少は理解できるようになったのでその共有も兼ねて書いていきたいと思います。
さて戦術的ピリオダイゼーションについての話を進めていきたいと思いますが、多くの場合、戦術的ピリオダイゼーションについて語るときに「サッカーはサッカーでしか上手くならない」という言葉のみが先行して語られていますがそれだけの理論ではありません。
戦術的ピリオダイゼーションについて理解するにはまず「ゲームモデル」について学ぶ必要があります。
ゲームモデルはプレーモデルと言われることもありますが(個人的にはゲームモデルの方がイメージしやすいのでこちらを使います)ゲームモデルを一言で説明するならば「そのチームが目指しているサッカー」です。
ここで重要なのは「理想としているサッカー」ではないということです。似たような意味合いですが微妙にニュアンスが違います。
ゲームモデルは理想ではなく現実。
なので日本代表について語る際によく使われる「自分たちのサッカー」なるものはゲームモデルではありません。あれはただの理想(だと思う)てか「自分たちのサッカー」って何?
「自分たちのやりたいサッカー」はideia de jogoと呼ばれる。これは要するに「理想のサッカー」、もっと日本で馴染んでる言い方をすれば、まさに「自分たちのサッカー」だ。これはゲームモデル(試合模型)を作る上で重要な構成要素の一つになるが、ゲームモデルそのものの概念とはかけ離れている。 https://t.co/40grUE7ZQK
— はやし まいき (@Hayashi_BFC) May 16, 2018
ではゲームモデルの構築はどのように行われるのでしょうか?
ゲームモデルを構成するのはチームの目標・レベル・環境・文化・歴史など多岐にわたります。ゲームモデル=「試合模型」という直訳が最もイメージしやすいかもしれません。チームが帰るべき原点ですべてのベースとなるものです。
バルセロナはゲームモデルのイメージが付きやすいかもしれません。チームの文化や歴史に基づいて長きにわたって同じゲームモデルを構築し続けています。最近はちょっと迷走気味なのは置いときます。
他にゲームモデルの例を挙げるとマンチェスター・シティならば「ポゼッションサッカー」、リバプールならば「高い位置でボールを奪ってからの素早いカウンター」です。ポジショナルプレーやゲーゲンプレスはゲームモデルを遂行するためのプレー原則の一つです。
ちなみにレアルや日本代表にゲームモデルはおそらくないです。「みんなで頑張る」とかになるのかな?日本代表にゲームモデルがあればこんなにW杯ごとに慌てふためいたりしないはずです。帰る場所がないのが日本代表。
そしてチームは自分たちのゲームモデルに沿ってチームを作り上げていきます。選手・システムなどはそのゲームモデルを遂行する手段の一つです。このゲームモデルだからこの選手・システムといった風に決めていきます。決して逆になってはいけません。
常にゲームモデルありきでそれを遂行していくのに最も適した選手・システムを選んでいく考えるのが大切です。どっかの国も見習ってほしいです。
続いてゲームモデルに基づいてプレー原則を定めていきます。プレー原則は主原則・準原則・準々原則という風に細分化していきます。
主原則は4つの場面に分類することができます。攻撃・守備・ポジティブトランジション(PT)・ネガティブトランジション(NT)の4つです(個人的にはトランジションが具体的にどの場面を指しているのかわかりづらいのでこの区分には反対です)
ここで重要なのはプレー原則が固定化されたパターンになってはならないということです。あくまで原則という大枠です。大事なのは誰が出ても・どんな場面でもプレー原則を遂行できるようにすることだからです。
そしてこれらのゲームモデルに基づいたプレー原則をトレーニングしていこうという理論が戦術的ピリオダイゼーションです。
戦術的ピリオダイゼーションの「戦術的」という言葉は「チームのゲームモデルに沿ったプレーをすることができる」という意味に受け取っています。
では戦術的ピリオダイゼーションに基づいてシーズンを通してどのようなトレーニングを行っていくのでしょうか?
まずプレシーズンキャンプやシーズンの序盤などは自分たちのゲームモデルがチームに定着していない時期です。そのため細かいプレー原則のトレーニングよりもゲームモデルをチームに定着させるようなトレーニングを行います。ゲームモデルがチームに定着してから細かいプレー原則のトレーニングを行っていきます。
具体的に日曜日に試合があると仮定して次の日曜日の試合までの一週間をどのように過ごすかを書いていきたいと思います。
まず月曜日は試合の翌日のため軽い回復メニューをこなします。
そして火曜日は完全オフにします。月曜日と火曜日のメニューを逆にするチームもあるようですがもし月曜日をオフにしてしまうと試合に出場しなかった選手は火曜日を2日連続でトレーニングを行っていない状況(日曜日はベンチのため)で迎えるので試合に出場した選手との間にコンディションの差が生まれるうえに、疲労回復には一般的に48~72時間かかると言われているため回復を促進できる火曜日をオフにしたほうが良いという考え方です。ミルナーみたいに超回復できる選手は例外。
水曜日はプレー原則のトレーニングを行っていきます。ただ完全に疲労が回復している状態ではないため負荷のそこまで高くないトレーニングを行います。
木曜日は試合終了から72時間経過しているおり、試合までの期間も十分にあるため一週間で最も負荷の高いトレーニングを行います。プレー原則を意識した高負荷のトレーニングや対戦相手を想定した模擬試合など組みます。
金曜日もプレー原則のトレーニングを行いますがより一層相手を意識したトレーニングを行います。試合が近づいてきているので負荷はそれほどかけません。
試合前の最後の日である土曜日はセットプレーの確認や一週間のトレーニングの再確認といった軽い運動をします。直前に高負荷のトレーニングは行いません。
ざっくりではありますがこのようにして一週間のトレーニングを組んでいきます。
プレー原則に従ったトレーニングを一週間かけて選手たちに覚えさせることによって試合当日に選手たちは無意識にプレー原則に従った動きをすることがでるようになっています。洗脳みたいなもの。
そして戦術的ピリオダイゼーションに基づいたトレーニングを考える時に大切なのは「サッカーはサッカーでしか上手くならない」ということです。
やっと出てきたこの言葉ですが「サッカーはサッカーでしか上手くならない」と言うよりも「サッカーは試合で起こりうる状況を練習しなければ意味がない」という言い方のほうが分かりやすいです。
要はグラウンドを走る練習をしてもグラウンドを走る能力が身につき、コーンドリブルの練習はコーンを抜く技術が身につくだけ、パターン練習はそのパターンが完璧にできるようになるだけで試合で臨機応変に対応できるようにはならないという考え方です。そのためまずサッカーに特化した練習でないと意味がありません。
また攻撃・守備・PT・NTの4つの場面すべてがトレーニングに含まれていないといけません。実際の試合ではそれぞれが分断されてプレーすることはなくすべてが繋がているからです。
またこれらのトレーニングは試合で起こりうる状況を練習するため認知・解釈・判断のといった「戦術的インテンシティ」を高める事が出来ます。機械的なトレーニングでは戦術的インテンシティを高めることはできません。ここも今までの練習方法とは異なっている点です。
さて戦術的ピリオダイゼーションに関する自分なりの解釈を説明したところで冒頭の議論に話を戻したいと思います。
局面のみを切り取って練習することに意味があるのか?
上記の通り戦術的ピリオダイゼーションの考え方ならば意味はないということになります。
ただ個人的には前後のプロセス(ボールを受けるまで・躱した後)が欠けてるのは事実ですが相手を抜くという局面がある以上その練習をすることに意味はあると思います。99%抜けるからすごいとはあまり思いませんが。
だって大事なのは「確率」よりも「機会」だから。
もちろんその局面ばかりを練習するのは間違いだと思います。前後のプロセスも練習しなければ曲芸師になってしまうのは目に見えています。
ただ戦術的ピリオダイゼーションの考え方と異なるから、試合で起こりえない状況だからと言って否定するのは危険なのではないかと思います(もちろん年代や環境によって異なるので一概に言えませんが)それを言ってしまうと試合前のシュート練習とか何の意味なくなります。
そういえば戦術的ピリオダイゼーションの考え方では試合直前のアップはどうすればいいのだろうか?分かる方教えてください(笑)
今最も正しいとされている理論であって数年後には間違いだったと判明するかもしれません。というかおそらくそうなるし、そもそも戦術的ピリオダイゼーションは人によって解釈は異なり、完全に理解できているのはビトール・フラデただ一人です。
だから、戦術的ピリオダイゼーションを日本で広めるの若干こわいんだよなぁ。戦ピリ=正義、それ以外はやる意味ない、って人が出てきそうで。そしたらもうビトール・フラーデしか正しい練習できないじゃん…。
— はやし まいき (@Hayashi_BFC) August 10, 2018
別に戦ピリ知っててもウォーミングアップで鬼ごっこする。それが相応しいと思ったら。
日本では物事を二極化する傾向があるように感じます。
戦術的ピリオダイゼーションの考え方は個人的には正しい考え方だと思っていますが、だからと言ってすべて正しいとは思っていません。場合によってはドリル形式やパターン練習も必要だと思っているからです。
なぜならそれらの練習もチームにプレー原則を落とし込むための選択肢の一つとして考えることができるからです。重要なのはすべての練習が同じ目標(プレー原則)に向かって練習しているか、ドリル形式やパターン練習を行うこと自体が目標になってしまっていないかということです。
長々と書いてきましたが以上が自分の意見です。
この議論で個人的に気になるのは岡部さんが前後のプロセスやそれまでの戦術的インテンシティの部分が欠けていることを理解したうえで教えていらっしゃるのか、そうでないのかという点と抜くドリブル以外の運ぶ・守るといったドリブルに関してはどのように捉えられているのかという点です。
当の本人はわざと言ってないのかもしれませんが、メディアにも数々出られるようになられたのでそこら辺についても一度お話ししていただければ個人的に嬉しいですし議論もより活性化するのではないかと思います。
珍しく難しい問題に突っ込んだからなんかうまくまとまらなかったけどこの辺りで終わりにしたいと思います。この記事で何回「戦術的」って言葉使ったんだろうか?分かりづらくてすみません。
ここ違うと思った方は気軽に反応ください。お待ちしています。